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太平洋戦争の末期に、現在は北方領土と呼ばれてる樺太の真岡郵便局にて電話交換手をしていたという9人の女性の悲劇を描いた映画に「樺太1945年夏 氷雪の門」というのがあります。

この映画は1974年に公開されてはいるのですが、当時の東西の冷戦状況の煽りを受けて全国的には公開されなかったため、いまだに日の目を見ていません。
いちおうDVD化もされてるようですが、通販のみの取り扱いの上に値段も手ごろじゃないので見れる機会も無いに等しい状況です。

この幻の映画が、今回ついに日本テレビにてドラマ化されたようです。

関連サイト→ 「霧の火~樺太・真岡郵便局に散った9人の乙女たち」

このドラマの話は、一般的には8月15日が終戦の日だと思われていますが、8月8日に日ソ中立条約を破棄し日本に対して宣戦布告してきたソ連は8月20日に攻撃を開始・・・そしてそのときに、樺太の真岡郵便局にて電話交換手をしていた18~25歳の女性9人は通信手段として自分たちの仕事の重要性を考えて、強制疎開の命令も聞かずに仕事を続け、いよいよソ連が迫ってきたときに服毒自殺を遂げたというものです。

内地のみなさん、稚内電話局のお友達に申し上げます。
只今、ソ連軍が、我が真岡電話局に進入いたしました。
これが、樺太から日本に送る最期の通話となるでありましょう。
私達9人は、最期まで、この交換台を守りました。
そして間もなく、9人そろってあの世に旅立ちます。
ソ連軍が近づいております、足音が近づいております。
稚内のみなさん、さようなら、これが最後です。
内地のみなさん、さようなら、さようなら

これが真岡郵便局の交換所から発信された最期の言葉です。

この9人の乙女に対して昭和天皇と香淳皇后が詠った詩を紹介します。

なすべきをなしをへてつひに命たちし少女(をとめ)のこころわが胸をうつ

樺太につゆと消えたる少女らのみたまやすかれとただにいのりぬ


このドラマは8月25日に放送されるようなので是非観てみてください。

 

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今日は広島に原爆が落とされてから63回目の原爆の日です。

この原爆による死者を慰霊するために建てられた慰霊碑の碑文に「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と書かれているのは有名で、誰でも一度は聞いた事があるんじゃないでしょうか。

この碑文の文章に激怒したといわれる、インドのラダ・ビノード・パール博士(パール判事)の言葉を紹介します。   

パール判事といえば太平洋戦争の後に行われた東京裁判にて、敗戦国である日本を一方的に侵略国と決め付けて裁く裁判は歴史の捏造だといい最後まで裁判の無効を主張して、後に東京裁判の最大の犠牲者は「法の真理」であると言った人です。

この「過ちは繰返さぬ」という「過ち」は誰の行為を指しているのか?

日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。

それがどんな「過ち」なのか、私は疑う。

ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。

落した者が責任の所在を明らかにして「二度と再びこの過ちは犯さぬ」と言うならうなずける。

この「過ち」が、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。

その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。

さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。

アメリカこそ開戦の責任者である。

パール判事は昭和25年に広島を訪れた際に、碑文を読んでこのようなコメントを残しました。
その後に広島の慰霊碑の碑文に代わる詩を自ら考えたものがあるので紹介します。

激動し変転する歴史の流れの中に 道一筋につらなる幾多の人達が 万斛の思いを抱いて死んでいった

しかし 大地深く打ち込まれた悲願は消えない

抑圧されたアジアの解放のため その厳粛なる誓いにいのち捧げた魂の上に幸あれ

ああ 真理よ

あなたは我が心の中に在る

その啓示に従って我は進む

1952年11月5日 ラダ・ビノード・パール 

 

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ネットをぶらついていたらアフガン近くの町で撮られたという2枚の写真が目に留まりました。

この2枚の写真は1967年と2007年の同じ場所で撮られたものなのですが・・・

まぁとにかく見てみてください。

こちらが1967年
then.JPG







こちらが2007年
now.JPG







オリジナル→ 「Paghman Gardens - Then & Now 」

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