久々に新選組ネタを少し・・・
文久3年(1863年)2月23日に新選組の元となった浪士組が京都に到着しました。
総勢234名と記録に残る浪士組ですが、結局24名が残って3月12日に会津藩主松平容保の預かりとなります。
そして3月16日に松平容保に謁見した1ヵ月後の4月16日、「浪士組」の実力を披露する機会がありました。
「新選組」の名を使ったのは同年8月18日の禁門の政変の時からだと言われてますので、当時は「浪士組」として上覧試合を披露した物と思われます。
上覧試合の内容は剣術4組、棒術1名、柔術1組なのですが、ここで興味深いのは、剣術披露の顔合わせです。
新選組が好きな人なら知ってるでしょうが、当時の浪士組の内部では近藤一派と芹沢一派による派閥争いが巻き起こっていたので松平公の前ではいいところを見せておきたいはずですが、ここでは近藤派の土方歳三の思惑が顕著に現れています。
順番どおりに書きますと・・・
「剣術」
土方歳三VS藤堂平助
永倉新八VS斎藤 一
佐伯又三郎VS平山五郎
山南敬助VS沖田総司
「棒術」
川島勝司
「柔術」
佐々木愛次郎VS佐々木蔵之丞
トップバッターに土方歳三自らが登場し印象を与えた後に永倉・斉藤という近藤派の実力者が剣術を披露し、芹沢派からも剣術を披露させるものの前のカードからは明らかに格下のふたり、そして最後に山南と沖田という土方が剣術において最も信頼している2人が剣術を見せ、芹沢派との実力差を印象付ける。
実に巧妙な顔合わせであり順番のような気がします。
この話はスカパーの「京都チャンネル」で放送した「新選組プロジェクト」という番組の中で話していたのですが、この番組は他にも新選組にどっぷり浸かったコアなファンが興味を引く話をしてくれます。
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