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この映画は、1994年にアフリカのルワンダで実際に起こった、フツ族とツチ族による部族間闘争から広がったフツ族によるツチ族の大量虐殺事件をテーマに、ルワンダの首都にある外資系ホテル「ミル・コリン」(実在のホテル)の支配人を務める主人公・ポールが家族や隣人をはじめ多くのツチ族及び穏健派のフツ族の人をホテルに保護し、最終的に多くの人の命を守ったという実話に基づく映画です。

日本は自衛隊の派遣でも色々と問題を抱えていますが、弱者の目から見て国連の平和維持軍がどう映るのかも、ちょっと解る気がしますし、主人公が妻に向かって「いよいよ最後の時は子供を抱えて屋上から飛び降りてくれ」と頼むシーンは最近話題になっている沖縄の集団自決の話しとも重なってくる気がします。

まぁとにかく、少しでも多くの人に一度は観て欲しい映画ですね。



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久しぶりに新選組関連の記事を・・・

「新選組血風録」とはいわずと知れた司馬遼太郎の書いた小説で、土方歳三と沖田総司を軸に実在・架空の隊士を主人公に書かれた短編集です。

過去に映画やドラマにもなっていて、有名なのは栗塚旭、島田順司、舟橋元で1965年に放送されたTVシリーズだと思います。

そんな中でも今回は、1998年に放送された近藤勇=渡哲也の「新選組血風録」を紹介します。

1998年の「新選組血風録」は全10話と短いうえに、主人公は近藤勇になっているので原作のイメージとは大きく異なっていて、第1話の池田屋討ち入りの話も山崎蒸を主役にして忠臣蔵の話と絡ませた原作とは全く違う近藤勇を中心に描かれていましたが、「前髪の惣三郎」など原作版「~血風録」のオリジナルの話も作られていたので辛うじて「~血風録」というタイトルも許せるかな?という感じでした。

面白かったのは、エンディングテーマ曲を歌っている松山千春が芹沢鴨を演じていたのが意外に違和感が無かっりした点ですね。
松山千春の芹沢鴨以外では渡哲也の近藤勇にはじまり元仮面ライダーだった村上弘明の土方歳三、当時売り出し中の中村俊介の沖田総司、大杉漣の山崎蒸などでした。

残念だったのは原作の中でも凄まじい最期が特に印象的だった「弥兵衛奮迅」はこのときもドラマ化されませんでした。

最初観たときは「こんなもんか・・・」という感想でしたが、録画していたビデオを後から観たら案外楽しめました。


「新選組血風録」(1998) オープニング・エンディング




 

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 俺が8月11日に書いたブログ「北のひめゆり」に関した話を少し紹介します。

 「北のひめゆり」とよばれる樺太の真岡郵便局での電話交換手9人の集団自決は今回ドラマ化もされたことで少しは世に知られる事になったと思いますが、樺太ではもうひとつ「炭鉱病院の看護婦の集団自決」という悲劇的なエピソードが残されています。

 1945(昭和20)年8月16日、激しい空襲に遭い焼け出された大平炭鉱病院の高橋婦長は、22人の看護婦を伴い重傷患者達を守りながら上恵須取町を目指して避難していました。
 ところがソ連軍の進軍は早く、最後には包囲されてしまい逃げ場を失ったのです。
 高橋婦長は「年ごろの娘を預かった。無事に帰せないなら死を選ぶしかない」と自決を覚悟しました。
 生き残った人の証言では、婦長は「わたしが至らないばかりに」「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も何度も繰り返していたといいます。
 そして病院から持ち出した劇薬を飲みました。
 この劇薬というのも、実は睡眠薬だったようで死ねない者は手術用のメスで手首を切ったのです。
 生き残った人の証言では「メスが入る感触を今でも覚えているが、あの世にいったら、みんなに会えると思っていたので抵抗感はなかった」と言います。
 そして、小高い丘の上の大きなハルニレの木の下で「君が代」などを歌いながら最期の別れをしたと・・・。
 23人の内、そのときに亡くなったのは婦長を含む18歳~32歳までの6人で、後の17人は幸いにも近くの人に助けられ一命をとりとめました。

 余談ですが、真岡郵便局の電話交換手を慰霊した「殉職九人の乙女の碑」に書かれていた碑文は一度書き直されています。

 最初の碑文では「昭和二十年八月二十日日本軍の厳命を受けた真岡電話局に勤務する九人の乙女は青酸苛里を渡され最後の交換台に向かった ソ連軍上陸と同時に日本軍の命ずるままに青酸苛里をのみ 最後の力をふりしぼってキイをたたき「皆さん さようなら さようなら これが最後です」の言葉を残し 夢多き若い命を絶った。戦争は二度と繰り返すまじ 平和の祈りをこめて ここに九人の乙女の霊を慰む」となっていましたが。

 書き直された後の碑文は「戦いは終わった それから五日 昭和二十年八月二十日 ソ連軍が樺太真岡に上陸を開始しようとした その時突如日本軍との間に戦いが始まった 戦火と化した真岡の町 その中で交換台に向った九人の乙女らは死を以って己の職場を守った 窓越しに見る砲弾の炸裂 刻々迫る身の危険 今はこれまでと死の交換台に向かい「皆さんこれが最後ですさようなら さようなら」の言葉を残して静かに青酸カリをのみ 夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた。戦争はふたたび くりかえすまじ 平和の祈りをこめ尊き九人の乙女の霊を慰む」となっています。

 書き直された理由は、真岡郵便局の当時の上司だった上田豊三さんの証言で「軍の命令で交換手を引き揚げさせることができなかったから、結局、軍が彼女らを死に追いやったといわれているが、これは事実無根です。純粋な気持で最後まで職場を守り通そうとしたのであって、それを軍の命令でというのはこの人たちを冒涜するのもはなはだしい」と語ったからです。

 上田さんの証言では、昭和20年8月16日に女子職員の緊急疎開の指示が入ったので全員にその旨を通知したが、「全員が応じない」との報告が帰ってきたので女子職員を集めて、ソ連軍侵攻で予想される事態を話して説得したが、「電話の機能が止まった場合どうなるか、重要な職務にある者としてそれは忍びない」と主張して譲らなかったという。
 女子職員の言葉に感動したが肯定することはできないので、小笠原丸が真岡に入港したらそれに乗船させて疎開させる決意を固めていたが、結局入港前にソ連軍が上陸してしまい、間に合わなかったと。

 最後に、上田さんの話しでは「あらゆる階層の人達が慌てふためき、泣き叫び、逃げまどっていた中で、郵便局の交換室、ただ1ヵ所で、彼女らがキリリとした身なりで活動を続けていたのである。このようなことが他人の命令でできる事かどうか。その1点を考えても判ることだ。崇高な使命以外に無い」 と証言し、日本軍の命令で自決したという部分が書き直されたのです。

 

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