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12月25日をもって横浜マリンタワーと氷川丸の営業が停止、年内に会社は解散するというニュースが流されました。 ↓公式ホームページ(トップページに関連記事) 氷川丸の生い立ちは公式ホームページに詳しく書かれていますが、ざっと挙げますと… 昭和5年4月25日:1万2千トンの貨客船として竣工、埼玉県大宮市の氷川神社の名をとり氷川丸と命名。 昭和7年5月:シアトル航路に就航、料理が美味しいとの評判もあり喜劇王チャップリンが乗船 昭和16年12月:日華事変や太平洋戦争開戦の影響を受け海軍に徴用され、特設病院船に改装 昭和20年10月:終戦と共に南太平洋艦隊日本船舶管理部(スカジャップ)の管理下に 昭和22年1月:貨客船として北海道航路に就航、横浜経由で関西と北海道を結ぶ 昭和24年7月:北海道航路から外国不定期航路に移行 昭和25年4月:船舶運営会が解散後日本郵船に復帰 昭和27年2月:欧州定期航路が解禁後、欧州航路に配船、定期貨客船に復帰 昭和28年7月:いシアトル航路の定期貨客船に復帰、戦争中もコックとボーイを降ろさずにサービスの精神を守っていた為に終戦後も行き続けるサービスと、新造船にはない風格に人気を集める 昭和35年8月27日:横浜から最後の航海に出航 昭和35年10月3日:最終目的地の神戸港に入港、遂に現役を引退 昭和36年2月:「氷川丸観光株式会社」が発足、6月には海の教室兼ユースホステルに改装 昭和42年:マリンタワーと合併し、「氷川丸マリンタワー株式会社」となり観光スポットになる 平成18年12月25日:横浜マリンタワーと共に氷川丸も営業が終了 ここで氷川丸が<奇跡の船>と言われる由縁ですが… 昭和20年2月:コレヒドールで機銃掃射を受けたものの犠牲者無し。 昭和18年10月3日:スラバヤ港外で船尾に機雷が接触し爆発するも犠牲者無し 昭和19年7月15日:カロリン諸島のルットール水道で船首に機雷が2発接触し爆発。船倉に浸水するも自力で脱出し犠牲者無し 昭和20年2月14日:シンガポール港外で船尾に機雷が接触し爆発、船倉に浸水するも無事に脱出し犠牲者無し 昭和20年7月29日:氷川丸の機関庫手と二等操機手が舞鶴に公務で上陸中、被爆・戦死(この2人が氷川丸の乗員では唯一の戦闘による戦死者です)。 このように、接触する場所によっては戦艦さえも沈めてしまう機雷に3度も接触し、病院船なのに連合軍からの機銃照射を受け、同型・同用途の船が殆ど沈められた(以前紹介した阿波丸事件など)にも関わらず、直接の戦闘による死者が皆無だというのは奇跡と表現しても問題はないでしょう。 俺自身、横浜には行った事が無く、当然「氷川丸」も観たことがないので、今回の営業停止は残念です。 どこかでまた「氷川丸」が公開されるように願っています。 PR ※ Comment
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