現在の国際連合の前身は国際連盟だという事は多くの人が知ってるでしょうが、日本が国際連盟の常任理事国だったという事までは知らない人が多いんじゃないかと思います。
国際連盟の設立に際して国際連盟規約委員会の席上で日本がある条項を提案しました。
その条項は、その後の日本とアジアと世界の歴史の流れを変えるものでした。
その内容は・・・
「人種あるいは国籍如何により法律上あるいは事実上何ら差別を設けざることを約す」
いわゆる「人種差別撤廃条項」です。
当時のアメリカで白人からの差別と戦っていた黒人達も、この条項に感動し、全米黒人新聞協会が出した意見を紹介します。
「我々黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである。全米1200万の黒人が息を呑んで、会議の成り行きを見守っている。 」
他にもアジア諸国から支持されました。
しかし人種差別意識が根強く残る欧米列強からの反発を受け、仕方なく修正案を提示しました。
「国家平等の原則と国民の公正な処遇を約す」
「人種」という言葉を「国民の公正な処遇」と置き換えた、この修正案で全16票の内11票を獲得しました。
しかし、議長であったウィルソン・米国大統領の「重要案件は全会一致でなければならない」という一言で不採択になってしまったのです。
さすがにこの評決については、欧米列強の一員であったフランス全権団からも「いままでの2回の票決では多数決だったのに今回に限って全会一致の規則を適用するというのは納得出来ない 」と、抗議しました。
しかし、ウィルソン・米国大統領は、「我々の一部にとってはあまりりにも障害があるので、規約にそれ(人種差別撤廃条項)を挿入する事は絶対にできない」と発言したのちに議長を辞任しアメリカに帰国してしまい、結局「国際連盟」に米国は参加しなかったのです。
「人種差別撤廃条項」を認めなかったアメリカは、その後イギリスと大西洋憲章を結びアジアにおける植民地の維持を約束しあいました。
当時、有色人種国家唯一の列強国として、有色人種を代表して世界平和と人種差別撤廃のために戦った日本は、その後はアジアを植民地として利用する欧米列強、中国を背後で操る米英との武力を使っての戦いへと形を変えていく事になったのです。
第2次世界大戦での日本の戦争は侵略戦争だと評されますが、そこに至るまでに武力に拠らない厳しい戦いを続けていたという事実を少しでも多くの人に知っていて欲しいと思います。
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