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今日、3月26日は映画「硫黄島からの手紙」で有名になった栗林忠道陸軍中将の命日になりますが、同じく硫黄島で栗林中将と数百名の兵士と共にアメリカへの総攻撃に参加した市丸利之助海軍少将の命日でもあります。
まぁ命日と言っても栗林中将、市丸少将ともにその死を確認した者も存在せず遺体の確認もされていませんが…。

この、市丸少将は遺書として書いた「ルーズベルトニ与フル書」をルーズベルト大統領に渡るように遺しました、結局ルーズベルト本人が目にすることは無かったようですがアメリカの新聞に掲載されて有名になりました。

以下、俺なりに現代語に約したものを紹介します。


日本海軍市丸海軍少将がフランクリン・ルーズベルト殿に、この手紙を送ります。

今、この戦いを終えるに当たり、貴下に一言を告げることがあります。

日本がペリー提督の下田入港を機とし、世界と国交を結ぶようになって百余年の間、日本の歩みは難儀を極め、自らが望まぬ日清、日露、第一次大戦、満州事変、支那事変を経験し、不幸にも貴国と交戦するに至りました。
これらを以って卿等(あなた方)の我々への評価は、或いは好戦的で、或いは黄色人種は禍をなすと謗り、或いは軍閥の暴走と言われますが、これはひどいとしか言いようがありません。

貴下は真珠湾の不意打ちを唯一の対日戦争への宣伝材料としていますが、これは日本が滅亡から逃れるため、このような行動を起こすところまで追い詰めらたのだとという諸種の情勢は、貴下の最もよく知るところでしょう。

畏れ多くも日本天皇は、皇祖皇宗建国の大詔に明らかであるように、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇の文字で表現される国家計画に基づいて、地球上のあらゆる人々はその分に従い、生まれた土地においてその生を享受する、このような恒久的世界平和の確立を唯一の念願とされているに他なりません。

このことはかつて、「四達の海 皆はらからと 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらむ」という明治天皇の詩にうたわれている事と同じで、貴下の叔父のセオドア・ルーズベルト閣下が感嘆した事を貴下も良くご存知でしょう。

我々日本人にもいろいろな階級の人がおり、そして色々な職業につきながら、この天皇の理想を実現するために生きているのです。

我々軍人もまた、武力を持ってこの理想を広く推し進める助けをさせて頂いております。

今、我々は貴下の航空爆撃や艦砲射撃に対して耐えるしかない状況にありますが、 精神的には充実し、心は晴れ、歓喜に溢れているのです。
これが天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理であり、貴下及びチャーチル殿には理解できないかもしれません。 

卿等の精神的弱さを憐れみ、一言書かせていただきます。
 
卿等の成す事をみると、白人とくにアングロサクソンによって世界の利益を独占し、その野望の為に有色人種を奴隷化しようとしてきたのに他なりません。

そのために好計を弄して有色人種を騙し、悪意ある善政によって考える力を奪い、無力化してきたのです。
 
近世になり日本が卿等の野望に抵抗し、有色人種とくに東洋民族の解放を試みましたが、 卿等は日本の真意を理解しようとせず、ただ卿等にとって有害な存在である決め付け、かつては友好国だった日本人を野蛮人として公然と日本人種の絶滅を叫ぶようになりました。
これがどうして神の意に背く事になるのでしょうか。
 
大東亜戦争により、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、各民族が各地にてそれぞれ善政を行い、それを卿等が破壊しなければ、全世界の恒久的平和を実現するのも決して遠くはないのです。

卿等白人はすでに充分な繁栄に満足せず、数百年来の卿等の搾取から逃れようとする哀れな人類の希望の芽を、なぜ新芽のうちに摘み取ってしまうのですか。

ただ東洋のものを東洋に返すに過ぎないのです。

卿等白人はどうしてそうも貪欲で狭量なのか。

大東亜共栄圏の存在は少しも卿等の存在を脅かしません。
それどころか、世界平和の一翼を担い世界人類の安寧幸福を保障するもので、日本天皇の神意がここにあるということを理解して欲しいのです。

反対に欧州の情勢をみれば、お互いの無理解が原因で起こる人類の闘争がいかに悲惨かを、痛嘆せざるを得ません。
 
今ここでヒトラー総統の行動の是非に言及するのは慎みますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、第一次大戦終結のとき、その開戦の責任の一切を敗戦国であるドイツ一国に被せ、極端な圧迫をする卿等の先輩たちの戦後処置に対する反発であることを看過できません。

卿等がいかに善戦してヒトラー総統を倒したとしても、いかにしてスターリンを首領とするソビエトロシアと協調するつもりでしょうか。
 
おおよそ世界が強者の独占するものであるなら、永久に闘争を繰り返し、遂に世界人類に安寧幸福の日は来ることはないでしょう。 

卿等は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとしております。
卿等も得意になっているのでしょう。
しかしながら、貴下の先輩であるウィルソン大統領は、その得意の絶頂の時に失脚しました。 

願わくば、私の言外の意を汲み、同じ轍を踏むことなかれ。

市丸海軍少将

原文紹介→ 「ルーズベルトニ与フル書」

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 前の記事の補足です。

マッカーサーが、日本の戦争を「侵略戦争」から「自衛戦争」に考え直したきっかけは朝鮮戦争でした。

戦後、朝鮮半島は北緯38度線を境界として、韓国と北朝鮮がアメリカとソ連の後ろ盾で小競り合いを繰り返していました。

昭和25(1950)年6月25日、北朝鮮軍が電撃的な「南侵」を開始し朝鮮戦争が始まりました。

韓国軍は次々と撃破され、あっという間に韓国各地が北朝鮮軍の手に落ちましたが、日本に進駐していた米軍、更に国連軍が韓国に派兵し支援しました。

しかし勢いに乗る北朝鮮軍は遂に米韓連合軍を釜山周辺に迄追い詰めました。
このとき、北朝鮮による半島の統一が目前でした。

しかし、北朝鮮軍後方に上陸作戦に成功させた米軍が挟み撃ちにした事で形勢は逆転し、今度は米韓連合軍が北朝鮮軍を中国・北朝鮮国境近くにまで追い詰めました。
このとき韓国により半島の統一が目前に迫りました。

しかし今度は、中国が北朝鮮救援を名目に軍事介入し、義勇軍として北朝鮮軍と共に米韓連合軍を南へと押し戻し、昭和26年春頃には再び北緯38度線付近で膠着状態に入りました。

38度線での膠着状態を打破すべく国連軍が北朝鮮・中国連合軍を攻撃しても、背後にある満州が基地として機能しソ連・中国が控えている以上、戦況は全く好転しないという事によってマッカーサーは初めて、満州を押さえた日本の戦争は「自衛戦争」だったのだと気付いたのです。

そこで次にマッカーサーが立案した作戦は核も含めた満州爆撃でした。
 
過去に日本が経験した、支那事変の時に米英から中国・蒋介石政権に軍需物資が送られて戦況が膠着状態に陥ったのと同じ状態になり、38度線の膠着状態を打開する作戦を考える事で日本の立場が初めて理解出来たのでしょう。

日本にとって、朝鮮半島と満州は「国家の生命線」です。
ここが敵対する勢力に支配されれば、それは国家存亡の危機に直結するという事をマッカーサーは知ったのです。
だから日本は、清国の朝鮮半島に対する干渉を排除する為に「日清戦争」を戦い、ロシア帝国の干渉を排除するために「日露戦争」を戦かったわけです。

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 マッカーサー将軍といえばGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の総司令官として日本占領に当たった事で有名で、東京裁判でも日本の戦争が侵略戦争だったと主張していた人物ですね。
 そのマッカーサー将軍が、後の朝鮮戦争において韓国の立場に立ったことで、日本の戦争は自衛のための戦争だったと理解できたというエピソードがあるので紹介します。

 昭和26年5月3日、米国上院軍事外交委員会にて、朝鮮戦争に於いてマッカーサーが主張した支那海上封鎖戦略についての答弁です。
 これに先立ちマッカーサーは、朝鮮戦争に於いて旧満州への空爆や核攻撃の必要性を主張し、トルーマン大統領との意見の対立からGHQ最高司令官を解任されていました。

○質問
 中国を海と空とから封鎖せよという貴官(マッカーサーの事)の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか?

○回答(マッカーサー)
 その通りです。
 太平洋において我々は彼らを迂回しました。
 我々は包囲したのです。
 日本は八千万近い膨大な人口を抱え、それが四つの島にひしめいいるのだという事を理解しなくてはなりません。
 その半数が農業人口で、あとの半数が工業生産に従事していました。
 潜在的に、日本の擁する労働力は量・質共に、私がこれまで接したどの国にも劣らぬ優秀なものです。
 いつからか日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産している時の方がより幸福なのだという、「労働の尊厳」というようなものを発見していたのです。
 これほど巨大な労働力を持つということは、日本人には何か働くための材料が必要だということを意味します。
 しかし日本人は工場を建設し労働力を有していましたが、加工すべき原料を得ることができません。
 日本には絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。
 日本は、綿も無く、羊毛も無く、石油も無く、錫(すず)も無く、ゴムも無い。
 その他、実に多くの原料が無いのです。
 そしてそれらの全てがアジアの海域には存在していました。
 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するだろうと日本政府と軍部は恐れていました。
 したがって日本が戦争に飛び込んでいった動機の大部分は安全保障の必要に迫られてのことだったのです。

 この発言は5月6日付けのニューヨーク・タイムズ紙に全文が掲載され、日本の新聞各紙にも報道されました。
 東京裁判にて日本の戦争を「侵略戦争」だと断罪した張本人が「安全保障(security)」の為だったと言ったのですからもっと日本国内でも大きく取り上げられてもいいと思うのですが、実際のところこの発言は知らない人が多いと思います。

 なぜこういう事実が黙殺されてしまうのでしょうか。

マッカーサーの考えが変わった理由はまた改めて書きます。

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