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第2次世界大戦当時、マレー戦線を非武装で駆けた英雄・藤原岩市少佐。

日本人に知ってもらいたい日本人(知ってる人も多いでしょうが、若い世代は特に知らないと思います)という事で、藤原岩市さんを紹介します。

「F機関」とは、友情(フレンドシップ)と自由(フリーダム)、そして藤原岩市少佐のイニシャル「F」を旗印に、大東亜戦争の理想と貴き志を忘れずに、アジアの解放と諸民族の団結を実践したのです。
その、藤原少佐の行動は、戦後のアジアで伝説となっています。

昭和16年12月8日の真珠湾攻撃よりも2時間ほど早い時間に日英戦争が開始されました。
マレー半島に日本陸軍が上陸し、ほぼ同時刻にタイ南部にも上陸、イギリス領マレーに向かって進軍を開始。

藤原少佐は身分を隠して、タイで大使館職員として勤務していましたが、日英戦争開始と同時に陸軍諜報員の身分を明かして作戦行動を開始しました。
その活動内容は昭和41年に、藤原少佐自身の手で書かれた『F機関』(原書房)の中に詳しく書き残されています。(絶版ですので、古書で探すしかないですが・・・)

藤原少佐の任務は、東アジア各地に点在するインド系秘密結社「IIL」との接触でした。
バンコクで「IIL」の指導者と接触し、日本軍への協力を取り付けた藤原少佐は、開戦直後、「IIL」の指導者・プリタムシン翁と共に最前線に向かいました。
このときに、戦場でインド人が同士が同士討ちすることを避ける為に「F」のマークの腕章を巻いたのがF機関の誕生です。
F機関の目的は、マレー半島のインド系住民への宣撫工作で、白人植民地からの解放を旗印に、東亜民族の団結を謳い、日本軍への協力を求めるものでした。

当時、藤原岩市少佐はF機関の立場をこう説明しています。
「私達の仕事は、力を以て敵や住民を屈服するのでも、威容を以て敵や住民を威服するものでもない」
「私達は徳義と誠心を唯一の武器として、敵に住民に臨むのである」

藤原少佐の言った通りに、F機関のメンバーは一貫して、ほぼ丸腰で活動を続けていました。

日本軍の快進撃により取り残されたイギリス軍の1部隊に殆どがインド系の兵士で構成された部隊があるという情報をF機関が手に入れ、藤原少佐とプリタムシン翁はインド国旗を掲げて、その部隊を包囲して投降させました。
そして、そのときの藤原少佐の演説が残されています。
「諸君!私はインド人将校との友好を取り結ぶ為に来た日本軍の藤原少佐である」
この言葉を聞き、兵士たちはどよめいたと言われています。
そして、このときの英軍の武装解除で藤原少佐が1人のインド人将校を見出しました、それがINA(インド国民軍)の創設者となる歴史的人物モハーンシン大尉です。

英軍撤退後に統治力が薄れ、インド人やマレー人がシナ人を襲うなどして治安が乱れた町で、藤原少佐は、昨日まで敵だったモハーンシン大尉に治安維持を取り仕切るよう指示しました。
「私は絶対の信頼と敬愛を得ようとすれば、まず自ら相手にそれを示す必要があると信じた」
と、後に藤原少佐は語っています。
インド人兵士にとって、白人に代わってやってきた日本人は信頼に値するアジアの仲間だという意識が育ち始めたのです。

そして昭和16年12月17日、藤原少佐は、「IIL」メンバーやインド人将校、下士官全員を集めてささやかな昼食会を開きました。
そのときにテーブルに並んだのはインド料理でした。

その昼食会で感動したモハーンシン大尉のスピーチが残されています。
「戦勝軍の要職にある日本軍参謀が、一昨日投降したばかりの敗戦軍のインド兵捕虜、それも下士官まで加えて、同じ食卓でインド料理の会食をするなどということは、英軍の指揮下では、夢想だに出来ないことでした。藤原少佐の、この敵味方、勝者敗者、民族の相違を越えた、温かい催しこそは、一昨日来われわれに示されつつある友愛の実践と共に、日本のインドに対する誠意の千万言にも優る実証である」

拍手の中で昼食会は続けられ、藤原少佐はフォークを使わず、素手でカレーを平らげたと伝わっています。

長くなるので、分けて書きます。

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